越谷市議会議員 きくち貴光
 
 

■議会報告

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●平成30年6月定例議会


Q4-①.質問


 次に、4項目めとして、外国人観光客の誘致についてお伺いします。観光行政についての質問は、県内の若手議員と一緒に長瀞町で調査したことを踏まえ、平成27年9月議会で取り上げていますが、改めて本年2月に同じく県内の若手議員と一緒に、今度は小江戸川越の観光施策を調査してきましたので、その視点も交えながら質問いたします。
 1点目に、戦略的誘致策の立案についてお伺いします。川越市は、国内外から年間700万人近い観光客が訪れます。平成29年度の実績では、このうち19万人が外国人であったそうです。担当課の案内のもと、まちなかを見て歩き回りましたが、平日であるにもかかわらず、「時の鐘」など観光のメーンストリートは大変なにぎわいでした。さすがは小江戸川越だと誰もが感じた次第です。しかし、それでも市としては観光客の滞在時間が短いことから、それを延ばすための工夫として、夜間でも観光客に楽しんでもらえるようなイベントなども仕掛けているとのことでした。
 さて、川越市は、2020年東京オリンピックのゴルフ競技の開催地となっています。このことを受けて、現在訪日外国人誘致のための取り組みを進めていますが、より多くの外国人観光客に川越の魅力を発信するために、都内の観光案内所やホテルに観光ガイドを置くなどして、さらなる知名度アップを図っています。また、観光PRに際して、戦略的に国を選んでの取り組みも始めています。そのターゲットの一つが、世界最大のイスラム教国で近年経済成長の著しいインドネシアです。この国からの渡航は2014年12月から15日以内の滞在であればビザが免除されています。独立行政法人国際観光振興機構、通称日本政府観光局のデータによれば、インドネシアからの年間訪日者数は、ビザが必要であった2014年は約14万人だったのが、ビザ免除により拡大し、昨年、2017年では約35万人が日本に訪れています。もちろん絶対数で言えば、中国からは735万人、韓国からは714万人、台湾から456万人となっており、これらの国々と比べれば1桁少ないのが実情ですが、しかし、訪日者数の増加率は2014年と2017年との比較では、インドネシアは1.7倍、他のアジア諸国はおおむね1.3倍から1.6倍程度にあったのと比べると、インドネシアからはふえていることになります。東京オリンピックを契機に、どこの自治体でも訪日外国人観光客の引き込みを考えています。このような他自治体との競争に打ち勝つためには、外国人観光客を誘致するに当たって、漫然とPRをするのではなく、ターゲットやポイントを絞って、戦略的に誘致を行うことが必要かと考えますが、市長の見解をお伺いします。


Q4-②.質問


 2点目に、翻訳アプリについてお伺いします。平成27年9月議会において、外国人観光客を呼び込むに当たっての課題を質問した際の答弁で、訪日外国人旅行者を対象にしたアンケート結果が答弁の際に紹介されていました。旅行中に困ったこととして、その第1位は無料公共無線LAN環境の提供、第2位はコミュニケーション、第3位は目的地までの公共交通路情報の入手とのことでした。近年、スマートフォンの普及により、アプリの開発がどんどん行われています。その中には外国人とのコミュニケーションを図るための翻訳アプリもあります。一例を挙げると、「TabiTra」というアプリがあります。このアプリは、音声では日本語と英語、中国語、韓国語等翻訳できます。テキストでは、音声翻訳ができる言語のほか、ヨーロッパやアジア圏の言語、川越が戦略的なターゲットとしているインドネシア語も含まれますが、20の言語を翻訳できます。こういった翻訳アプリを使うことで、訪日観光客とのより円滑なコミュニケーションが図れると考えます。翻訳アプリの導入と普及についての見解をお伺いします。


Q4-③.質問


 3点目に、外国語による交通手段の情報発信についてお伺いします。先ほど申し上げたとおり、旅行中に困ったことの第3位が、目的地までの公共交通路情報の入手とのことですが、そもそも外国人観光客にとっては、複雑な交通手段を理解するのは難しいようです。この公共交通路情報をわかりやすくすることが越谷への誘致策の一つとして効果を上げられるのではないかと考えます。越谷は、東京との間の鉄道のアクセスに非常に恵まれています。東武鉄道は、観光地である浅草を起点に、東京スカイツリーの下を通って越谷に至ります。また、地下鉄日比谷線、半蔵門線とも乗り入れており、外国人観光客が多く訪れる場所、上野、秋葉原、築地、銀座、六本木や渋谷などから乗りかえなしで来ることが可能です。あるいはJR武蔵野線を使えば、ディズニーランドのある舞浜、東京駅からも来ることができるほか、1回の乗りかえで新宿や池袋といった場所からも来ることができます。
 このようにアクセスには非常に恵まれています。この恵まれたアクセスを外国人観光客にPRするために、外国語による鉄道マップを作成してはどうかと考えます。内容は、今申し上げた路線や駅などを選択し、電車の所要時間や運転間隔、また運賃などの情報を入れ、当然越谷の魅力もその中に入れてはどうかと思いますが、このとき重要なのは、JRの存在です。訪日外国人の中にはジャパン・レール・パス、「JR TOKYO Wide Pass」といった有効期間内はJRが乗り放題のパスを使って移動することがしばしばあります。つまりパスの所有者であれば、都内からJRを使って越谷まで追加料金なしで来ることができます。何より複雑な路線図を駅で見て、切符を都度買うという煩雑さなしで来ることができます。そういったPRは案外よその自治体では行っていないのではないかと思います。パスの所有者へのアピールも含めて外国語による鉄道マップをつくることについて市長の見解をお伺いします。


Q5-①.質問


 最後、5項目めとして、歴史的遺構の保護と魅力発信について教育長にお伺いします。越谷市は、東京近郊のベッドタウンとして発展を続けてきました。契機は昭和37年の地下鉄日比谷線との相互直通運転開始です。それ以前は水田豊かなまさしく水郷こしがや的な風景が広がる地域であったわけですが、この越谷地域には、はるか昔からさまざまな歴史的な遺構や価値あるものが市内各所にありました。もっとも長い時間の経過のため、地中深くに埋もれてしまっているものも少なからずあります。そのような歴史的な遺構の保護、保全を行い、ふだん見過ごされがちな越谷の魅力を発信していくことが越谷のまちのイメージ向上、また新たに移り住んできた住民のシビックプライド醸成にもつながっていくと考えます。
 さらに、このことは都市経営や観光行政上からも重要であると多くの方が同意されるかと思います。国では現在貴重な文化財を後世に残すために、文化財保護法の改正が検討され、法案が国会に上程されています。その趣旨は、過疎化、少子高齢化などを背景に文化財の滅失や散逸等の防止が緊急の課題であり、未指定を含めた文化財をまちづくりに生かしつつ、地域社会総がかりでその継承に取り組んでいくことが必要。このため、地域における文化財の計画的な保存、活用の促進や地方文化財保護行政の推進力の強化を図るというもので、改正法の施行を法案では来年4月1日で予定しております。法改正によって直接越谷市の現在の文化財保護のあり方が変わるわけではありませんが、しかしこの機会に越谷市のさまざまな歴史的遺構について考えていきたいと思います。
 そこで、まず1点目に、増林中妻遺跡についてお伺いします。越谷市内には数多くの埋蔵文化財包蔵地があります。主なものとして、6世紀後半、古墳時代後期のものである越谷レイクタウン駅駅前の見田方遺跡、9世紀から10世紀、平安時代のものである西大袋土地区画整理地内の大道遺跡のほか、今回新たに増林中妻遺跡が発掘されました。場所は総合体育館の近く、増林1丁目地内ですが、時代は4世紀初頭、古墳時代前期のものとされ、今から1,700年前になります。この結果、見田方遺跡よりも300年近く越谷の歴史を塗りかえることになりました。その出土品を私も2月に開催されました生涯学習フェスティバルの際に拝見いたしましたけれども、専門家からはさきたま古墳群との関係性も見据えて、さらに発掘調査を進めてもらいたいという意見も出ていると聞いております。
 そこで、新たに発見されたばかりですが、増林中妻遺跡について、学術的にはどのような評価をしているのかについてお伺いします。また、この新しい遺跡を市民にどのようにその存在を発信していく考えであるのかについてお伺いします。さらに、今後の発掘調査についてはどのように考えているのかについてもあわせてお伺いします。


Q5-②.質問


 2点目に、越ヶ谷御殿跡についてお伺いします。徳川家康が鷹狩りのために越ヶ谷郷をたびたび訪れていたことは郷土史でも触れられています。その際の居場所が越ヶ谷御殿ですが、もとは増林にあったものを慶長年間に現在の御殿町に移したとされています。あいにく建物はその後、明暦の大火で江戸城天守閣が焼失した際に、江戸城内に移築され、移築後はもとの敷地は耕作地になったようです。これが現在の御殿町の(仮称)御殿町公園整備予定地なわけですが、以前行われた発掘調査の結果では、どのようなことがわかったのか。特に徳川家康を初め将軍家との関係の点ではどうであるのかについてお伺いします。また、今後の発掘の計画についてもお伺いします。
 


Q5-③.質問


 3点目に、鉄道橋についてお伺いします。この鉄道橋とは、東武鉄道せんげん台駅北側の新方川にかかる橋梁のことです。現在、新方川は県の事業として拡幅工事を行うために、東武鉄道の橋梁のかさ上げ工事が行われています。このかさ上げ工事については、過去に何度か治水対策の関係で質問しておりますが、今回は橋梁の土台部分を取り上げます。上下線の橋梁のうち、上り線は明治32年に東武鉄道が北千住駅より久喜駅まで開業したときから使用しているものです。越谷駅・北越谷駅間の元荒川にかかる橋梁も開業時のものでしたが、こちらは高架化された際に取り壊されて、当時の橋脚のれんがが越谷駅の壁面にレリーフ状に埋め込まれています。以前は鉄道に関連するものは歴史的な評価が余り高くはありませんでしたが、近年では鉄道遺産という形で保存されるものがふえてきております。ことしは明治150年、戊辰150年の年です。明治の近代化は鉄道が担ってきたと言っても過言ではありません。そして、越谷の近代化もまた東武鉄道の開業によって、新しいページが開かれています。今後新方川の河川改修が進んでいくと、この開業当初からの橋脚も壊されて、新しいものに変わっていくことになります。
 そこで、この橋脚のれんがを保存し、後世に伝えていくことが必要と考えますが、教育長の見解をお伺いします。
 以上で1回目の質問を終わります。ご答弁よろしくお願いいたします。


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